2017.7.8~7.23

NOBUYASU SATO

​埋もれ月

​金 土 日

CRISPY EGG Galleryでは7月8日より佐藤修康『埋もれ月』展を開催いたします。

デビュー当初より一貫して絵画を発表してきた佐藤ですが、そのスタイルは彼の人生とともに大きく変化してきました。

初期は落書きのように書きなぐった極彩色の絵画であったものが、徐々にポップさが剥がれ落ち、色彩と線だけの世界へと変化してきました。その後、2012年のドイツへの留学後はまるで線だけが意志を持って独立したように、中心へ据えられていくようになります。

現在ではその線はさまよい、自分のなるべき形を求めるようにして、日本的絵画へと迷い込んだようなスタイルへと変質しつつあります。

発表をし始めた頃の佐藤は当時吹き荒れていたアートブームの嵐の中で、自分の作品にじっくり向き合うこともできないまま、絵画を大量に生産されることを求められ、次々と出荷されていくことに、大きな疑問を抱くようになります。

次第に描く意味を失っていった彼の絵は突如崩壊し、画面に残ったのは意味を求めさまよう色と線だけになっていきました。

その後の佐藤の絵は、その時その時の感受性によって線と色とが自己同一化を繰り返し、何者かを騙り始めることになります。

ドイツ留学期には形而上学的な取り組みによって。また、帰国後は日本的な叙情的な抽象化によって。行き場を失った線と色はありえたかもしれない自己を探し求め、亡霊のようにさまよい続けるのです。

線は、それを組み合わせることで形や文字を形作り、そこから意味や記号が生まれてくるのだとして、その意味や記号を生成できなかった線はただの傷や痕跡でしかありません。それゆえにその線は意味を生成する以前の、画面のテクスチャーの一部と言えます。

加えて、意味を生成するために囲っていた線が失われてしまった色彩もまた、ただの画布についたシミでしかなく、ぶちまけられた塗料なのだと言えましょう。

佐藤の形や色彩はあたかも何かを意味したモノであると見えて、それは画布の傷や汚れだったものがうごめいているにすぎないのだと言っているように思えてなりません。

 

​◇

個展による発表は初めてだとのこと。

彼の現在の作品を知る上でも良き機会であると考えています。

是非ともご高覧下さい。

 

2017年6月

石井弘和

【Statement】

埋もれ月

 

私の制作は例えるなら地球の中心へ向けて穴を掘っているようなものです。

宇宙に向けてロケットを飛ばし、まだ見ぬ世界へ行くというよりは、地下深く内部へ行こうとしています。

そこには月があります。

衛星の月では無く、架空の月です。

私の分身であり影であるその月は、私を幾度となく変化させてくれます。

昆虫が変態するように、全く別の私へ移行させ、どのような私にもなり得ることを教えてくれるのです。

常に劇 的な変貌を遂げる訳ではありませんが、静かにゆっくりと変化し続けています。

私はそのような月を知っています。

​佐藤修康

【Questionnaire】

①2012年からのドイツ留学はどのような理 由からでしょうか?

学生時代から好きな作家がドイツに多くいたことで、いつかドイツに身を置き制作したいと考えていました。

ドイツ人作家の安易な奇抜さや派手を求めず、作家自身の考えに基づいた作風は泥臭く、達観しているように僕は見えました。

どのようにしてそんな作家が形成されるのか環境や歴史、考え方を知りたかったんです。

 

②美術におけるドイツと日本の違いは佐藤さんからみて、どのようなものでし たか?

 

ドイツでは作家だけに関わらず、美術関係者がとてもストイックです。

どのような過程から作品が出来上がるか詳細に把握しようとします。

その姿勢はあまりにもストイックである為、そちらが主であり作品自体は影のようでした。

どの国でも同じように制作過程に真摯に向き合っている作家は少なからずいます。しかしドイツにおいてのそれは生き方の問題であり、自分自身が信用できる確固たるものの探求なのだと感じました。

それに比べると日本では良い意味で作品や制作にストイックという言葉は合わないように思います。

私の場合、日本を思い浮かべるとき混沌の中で雑多な小さな明かりを集めているような、漂うようなイメージがあります。

自然に対して畏敬の念であったり、諸行無常などの常に変化し続けるという考え方が根底にあるのかもしれません。

ストイックなドイツと彷徨する日本が私の制作の基盤となっています。

 

③ドイツ渡航前の過剰に描き込まれた落書きのような絵から、一転、ドイツ滞 在中はミニマルな絵へと変化していきました。 また、日本へ帰ってきたのちは、日本的なモチーフも取り入れています。 海外渡航によるモチーフの変化について、なにが原因だったのでしょうか?

 

ドイツ渡航前から画面の中の要素を極力減らして、本当に”信用できるもの”のみを描こうと努めてきました。

それがドイツへ行ったことで、よりシンプルにそれを突き詰めることが出来たのだと思います。そして結果ミニマルな形態になりました。

しかし極限まで突き詰めた時、”信用できるもの”はほんの僅かなものしか無く、しかもまだ稚拙であるような気がしました。

帰国後もう一度考え直してみると、この”信用できるもの”はただ制作のみしていては手にすることは出来ないと感じ、制作のペースを落としました。

それからは普段通りに音楽を聴いたり、本や映画を観て、道すがら落ちている石や草木を見たとき、以前より一つ一つじっくりと深く考えるようになりました。それは些細なことや下らないことの方がより深く、あらゆる結び付きなどを理解できたように思います。

日本的なモチーフはただ水墨画が好きだったことと、身近な草木や山などを描いたもので深い意味はありません。身近にあるということが重要だったのです。

数年前に描いた作品(*1)は今思えば、日本的なものとドイツで突き詰めた”信用できる”僅かなものを一つの画面にしてみたかったんだろうと思います。

​④ドイツからの帰国後、ミニマルなモチーフと朦朧体のような画面を組み合わ せるシリーズは「西洋と日本」という明治期以降の古典的対比をテーマとした 作品のように見受けられます。 しかし、一見すると平行に対比されているように見られるシリーズなのですが、 よく見るとあえて古く見えるように汚された「骨董のような日本」のなかで、 ミニマルなモチーフが所在なさげにコンポジションを探している皮肉めいた作 品のようにも見えます。 ドイツから帰国後のご自身を表しているようにも捉えることができるのですが、 帰国後に日本で活動することに何か戸惑いのようなものがあったのでしょう か?

 

ドイツから帰国後、僅かな”信用できるもの”を用いて、もう一度考え直した私はまず以前から好んでいた水墨画の様相を取り入れました。

水墨画の形態も好きでしたが、それよりも背景にある価値観や考え方が私の”信用できるもの”に近く感じた為でした。

そのようにして西洋と日本が対比されている形へ変化しました。

古さや汚れについては、私は作品を自身の影だと考えている為、故意に汚したり、雑に扱っているようにみせることで結局作品は影であり残骸なのだということを表しています。

主にこのような経緯があり作品が変化したのですが、別の見方をすれば日本の資本主義に組み込まれた現代美術に嫌気が指したのかもしれません。

同じような作品を大量に作り、知名度を上げ

、本来の作品の優劣など考えようとせず貨幣による商品価値にしか関心がないような仕組みが私を戸惑わせ、やり場の無い怒りのような感情によって「骨董のような日本の中でミニマルなモチーフが彷徨っている作品」を創ったのかもしれません。

 

数年前までは西洋と日本の対比を分かりやすく描いていましたが、今では西洋と日本の互いが混ざり合い一つの様相になりつつあります。

そしてこれは”信用できるもの”がより強固になったということでもあります。

(※1)
 
「untitled」
250×200cm
oil on canvas
2013