2017.9.9~10.1
CHIHARA MAMI
ちいさいおうち
土 日
作家在廊日 9/9,9/16,10/1
CRISPY EGG Galleryでは2017年9月9日より、千原真実による『ちいさいおうち』展を開催いたします。
◇
千原真実の作品に必ず描かれる余白は、描かれるべきモチーフの一部または全体を隠し、そこに何があるのかを予感させます
自分の住んでいる街で、昔からあった建物が解体され空き地という空間が不意に生まれたとき、人は「ここには何があっただろうか?」と立ち止まり、今まで見向きもしなかったその建物を思い出し、想像すらしなかった住人の姿を思い描きます。
これが自分の家であればなおさらです。
住んでいるときは考えもしなかったのに、自邸がなくなると、自分がその建物と過ごした時間を振り返り、確かに自身がそこで人生を送っていたことを確かめます。
今までただの背景でしかなかった建物が消え、立ち止まり、「確かにあったのだ」と振り返ることでそれが実在していたことを感じるという、幽霊のような存在として千原は余白を取り扱います。
今回の「ちいさいおうち」では、中心のモチーフを取り外し可能なブロックのように組み込む構造にすることで、「そこには何かがあった」から「そこは何もないのかもしれない」というモチーフへと移行したように感じられます。
「そこには何もないのかもしれない」という予感は、一見、虚無的であるように感じられますが、ブロックのような構造による取り替え可能性を示唆することで、好きな組み合わせかたの想像力を引き起こし、むしろ心は解き放たれ自由になります。
また、いままでは内部と余白の境界線が曖昧だったのに対して、本展示の作品では、内部と余白の質感はフラットなのにもかかわらず境界線は確定的で明確に区別されています。
◇
彼女の作品を初めに見て、私はふと、東日本大震災後に訪れた福島の街が目に浮かびました。
そこは津波の被害がひどく、家々の境界となるブロック塀の下積みのみがむき出しに残っていました。
ブロック塀が確定しているものは、あくまで土地の所有権であって、定規で引いた地図状の線を具現化したものでしかありません。
初めて訪れた街だったので、私にはここの風景を思い出すことはできませんでしたが、ブロック塀跡は「そこには当事者の意思がたしかに存在していたのだ」と主張しているようで、ブロック塀を通して、人々の意思だけが幽霊のようにとどまっているのだなと奇妙な気持ちになったことを思い出しました。
千原が扱う余白は、虚実の不思議な関係性を図らずも描いているのではないかと思うのです。
是非とも、千原真実『ちいさいおうち』をご高覧いただきたく思います。
2017年8月21日
CRISPY EGG Gallery
石井弘和
2016 65.2cm×53cm パテ、鉛筆、アクリル絵具、油絵具
2016 91cm×116.7cm 油絵具、鉛筆、木炭
2016 38cm×45.5cm パテ、鉛筆、アクリル絵具
2016 38cm×45.5cm パテ、鉛筆、アクリル絵具、色鉛筆
2016 53cm×45.5cm 油絵具、鉛筆、アクリル絵具
2015 91cm×116.7cm 油彩、鉛筆
ー
ー
MAMI CHIHARA
千原 真実
ー
【Statement】
「ちいさいおうち」
バージニア・リーバートンの絵本「ちいさいおうち」から展覧会名をつけました。
絵本の物語の中で、ちいさいおうちはまるごとジャッキで車に乗せられて引っ越しをします。私は子どもの頃、家がそのままの状態で運ばれるシーンに衝撃を受けました。そしてそのことを思い出す機会がありました。
私が熊本の実家に帰郷した際、1年ぶりに地方にある祖母の家へと寄ることがありました。築200年の古いその家は1年半前の熊本地震の影響で半壊し、誰も住んでいないため、中へは入りませんでした。
そして久しぶりに見たその家の周りは、横を通り過ぎただけでしたが、数年前から進んでいた高速道路建設の影響で、家のすぐ隣りに高速道路が通り、周りにあった建物がなくなって綺麗に整備されていました。そこは祖母の家だけがポツンと建ち、見たことのないガランとした光景でした。私はこれまで家の中しか知らなかったのが、初めて外壁や全体の形、大きさや外から見た古さなどを知ることができました。
私は展覧会の場所であるこのギャラリーに来た時にそのことを思い出しました。
周りが変貌することとその光景が変わること、当たり前だった風景の一部が突然モノに変わること、それは私の作品テーマに通じているように感じました。
千原真実
【Questionnaire】
①今回の作品は、過去の作品のように、風景と幾何学模様が重なった二つのレイヤーが一つの画面に描かれている作品ではなく、キャンバスの中央を切り抜き、そこに別のキャンバスがパズルのようにはめ込まれています。過去の作品よりもよりマテリアルがより強調されるようになりました。これはどういった変化があったのでしょうか?
→ドイツの画家であるBrüno Gollerの「Kleine Landschaft(小さい風景画)」という作品を知ったのがきっかけで、自分の作品の中でも「小さいもの」と「余白」を描くようになりました。それから自分の作品の中で余白の部分がどういうものなのかについて考えるようになり、余白と考えていたものは余った部分ではなくて、モチーフの周りにあるものであって、存在するものとして、かたちがあるものとして扱えるのではないかと余白に対する見方が移行していきました。
②絵画的であることよりも、立体物であることが強調されたことにより、輪郭線の持つ「内と外」というイメージが明確になったように思われます。
これまでのシリーズにあった、内と外が交わり輪郭すらも怪しくなるダイナミズムを完全に拒絶し、今は、内と外の交流は不可能であると言わんばかりです。
政治的意図はないとのことでしたが、あまりにも現代的であるように感じられます。
この内と外を分ける輪郭は何を意味しているのでしょうか?
→内と外を分ける輪郭は、今目の前で自分で線を引くこともできる、または予測できないくらい突然起こるといった、身の回りのいたるところにある境目の輪郭を意味していると考えています。輪郭は明確ですが、明確な上で内と外にどんな'交流'が持たせられるかというのは今回のテーマの一つです。
③このシリーズにおける内部と外部は等価に扱われていると考えていいのでしょうか?
それとも内部と外部にはヒエラルキーが存在するのでしょうか?
またその理由はなんですか?
→内部と外部は等価なものとして見て欲しいです。画面の中に輪郭を含んでいることは明らかであり、色んな見方もあると思いますが、最後は一枚の絵として見て欲しいからです。
Interviewer Hirokazu Ishii
Respondent Chihara mami
千原真実
1985 熊本県出身
2008 東京造形大学美術学科絵画専攻卒業
2011 Städel schule Frankfurt Christa Näher クラスゲストスチューデント(-2013)
現在 東京在住
グループ展
2010 「9583.47:THAT’ S WHY WE GO OUT TO TRAVEL」
Espace Des Arts Sans Frontieres、パリ
2011 「 SENSIBLES CONFUSIONS」
Espace Des Arts Sans Frontieres、パリ
2012 「Mami Chihara, Shigeru Takato」
Praxis Dr. Flohr、デュッセルドルフ
2014 「小さな林と千の原っぱ」 小林達也•千原真実2人展
SAKuRA GALLERY、東京
2015 「 地への浸透を想ふ」
西荻窪 GALLERY494、東京
art area project 2015「SUPER OPEN STUDIO」
REV、神奈川
2016 art area project 2016「SUPER OPEN STUDIO」
REV、神奈川
個展
2012 「オーネティートル」
SAKuRA GALLERY、東京
2015 「こっちへ」
GALLERY+PLUS、東京
「トーキョーワンダーウォール都庁 2015」
東京都庁第一本庁舎3階南側空中歩廊、東京